終末論Eschatologie

 

 

洋の東西に関わらず終末論はある。

 古くは、ユダヤ教、キリスト教があり、現代では核の脅威、人口爆発、環境破壊といった形態で、我々の心にイメージが届けられる。

 人はいつの時代にも心に巣を作り、その影におびえ、その影が取り払われたときに、おおきな安堵を覚える。

 こうした終末に対する我々の心の反応は、すぐれた芸術や文学を生む原動力となっている。

 しかし時に、このイメージは悲劇的な狂気へと駆り立てることがあることにも気がつく。(宗教の集団自殺など)

 芸術と狂気への分岐はどこにあるのか?

これはイメージの処理能力によるものだと思われます。

つまり終末という一次イメージをそのまま、受け入れることは決して想像ではないということです。

 本当の想像とは受けた一次イメージをチェンジして2次イメージを作り上げることです。

 この橋渡しをするのが科学などの「知」なのです。

したがって、魂の救済は宗教にしかできないのではなく、すぐれた科学にも可能なのだという結論が導き出されるのです。

 従来、物理学の世界において終末論は「宇宙の終わり」として論じられる。つまり陽子崩壊がおこるかエントロピー的死至るかのどちらかであるとされる。

(いずれにしても我々が心配する時間のレベルではない。)

 

しかしもっと新しい科学では、宇宙に終わりなど無いとされる。

それはブーツストラップ散逸構造論で説明される。

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