1984年 |
量子の公案 |
ケン・ウィルバー |
序文
物理学者自体には迷惑な支持者もいる。最新の物理学が、神秘主義を支持、証明するような論調に書き換えられてしまう場合だ。
たしかに科学の研究をしているうちに結論が出ない神秘の壁にはばまれてしまうことがある。しかし神秘主義と解き明かせぬものを混同してはならないのである。
しかし、物理学者は神秘主義との決別を目指しながら、多くの物理学者はなぜ神秘家になってしまうのか?
ニュートンも例外ではない。彼は万有引力の法則で、宗教に終止符を打ったかのように思われがちだが、ニュートンのキリスト教信仰はその後ますます強まった。いわく「これほど、すばらしい万有引力は神の存在の証明となる。」−と
できるものなら神秘主義、宗教哲学は現代物理学との和解をできないものなのか?
しかしそれはお互いに衰退につながる無理がある。同一のリアリティに至る相補的アプローチであるなら、それぞれの研究をつづければよいのである。
今のようにあらゆる学会が<精神>の立証と反証の双方に物理学を自分に都合のいい部分だけ利用しているにすぎない。
物理学が進めば進むほど神秘主義の根拠にされてしまう。とにかく彼らは手におえない。
数学的に一致していれば、それは神の手によるものだからだと言い、数学的に一致しないとすれば、それは神の意志によるからだと言う。
補:(キリスト教との結びつきが論点になるもの「ニュートン力学」「相対性理論」
東洋神秘主義との結びつきに関する推察がよく行われるもの「量子論」)
ブーツストラップと東洋思想がよく対比的に論じられ、「その考え方は、融通無得という教義にあるものです。」などと書かれている。書いてあるというだけで同定してはなりませんよ。この考えをわたしは3つ忠告します。
もし、還元的な物質つまりクウォーク、レプトン、グルオンのいずれかの存在が確認されたとき、仏陀は悟りを喪失してしまう。どっちに転ぼうと神仏と物理学を結び付けようとすれば、それは神仏の衰退に確実につながります。
神秘的自覚に達するに物理学書を読めばいいといった結論にいきつき修行は一切不要となる。
そもそも、同定化のアプローチ全体そのものが還元的で神秘を証明しようとして実際には駄目にするものになる。つまり最下位レベルの物質にホーリズムを提唱しても、最下位レベルがリアリティの本質をあらわすという主張そのものは、還元主義である。
還元主義を批判するには非還元的手法でなければ矛盾するのである。
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