知のネゲントロピー |
ジョンホーガンは、「科学の終焉」の中で科学は既に収穫逓減の段階にあり、今までほど画期的な理論はあらわれないだろうとした。
これは、科学だけの問題ではない、われわれの時代は文明の袋小路にはまっているといえる。
トルストイ、ジェイムズのような小説家が現在いるだろうか?
ブラームスやドビュッシー、マーラーのような音楽家は現在いるだろうか?
ドガやセザンヌのような画家は?
こうしたことをペンデレッキは、「もう、我々の時代には、もう何もやることは残ってない」といった。
芸術の死、イデオロギーの死、主体の死など、いたるところに死や終焉が語られる。
本当にそうだろうか?
いや、唯一やり残したことがある。「統合」だ。
個々の終焉を死ととらえることはない。イデオロギーの死を統合への前提ととらえ、宗教の死も同じく統合と捉えれば、違う世界が見えてくる。
以下に話す持論にはある2つの大前提がある。
その1つは、「より統一的(ユニティ)で集合的(コヒーレンス)な統合性(インテグレーション)な知恵には「高次元の解答」が引き出すことができる 。」という前提だ。
2つめは、知はもともと統一であった過去がなく、誕生自体が点在的存在物であった。エントロピーの法則によれば、全ての物は、拡散ほ方向に向かい、熱的死を迎えるというが、知 は拡散してもエネルギーの質は悪くならない。逆に拡散は統合に向かうことである。(熱力学の定理を「知」の世界に持ち込むのは、分野違いであるが、説明装置としてのアナロジーとして聞いてもらいたい。 )「知」にはエントロピーではなく、ネゲントロピーが働き自己組織化するという前提だ。
この2つの前提が正しいとすると、「知」はその周辺的多様性を高めながらも、その中心は、エントロピーの法則にさからい自己組織化する傾向がある。したがっていずれ、 収穫は逓減するかもしれないが、そのユニティ、コヒーレンス、インテグレーション性の高い知恵からは「高次元の解答」が 必然として導き出されるとになる。
自己組織化はシステム論史的には第2世代にある。第3世代であるオートポイエイシスを導入して「知」を再定義できないか?
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