次世代システム

 

 システム発生以前は、世界はカオスであり、やがて有機体が発生した。

システム論はこうした生命の歴史をなぞるように、有機体哲学にそのルーツを置き、発展してきた。

・現行システム論

一般システム論(1935)/サイバネティックス(1948)/ホロン(1967)/自己組織化(1980)/散逸構造論(196E)/シナジェティックス(1978)/ハイパーサイクル(1970) /オートポイエーシス(1973)

 

・有機体の意味

  現行システム論は、有機体の全てを組み込めているだろうか? むしろその発展プロセスの最初にシステム外へと切り捨ててしまったものがあるようだ。

狭義の有機体の意味に、「心」は含まれない。現行システム論は、協議の有機体の上に論を立てている。つまり「狭義のシステム論」なのである。唯物的に生命を機械的にとらえているのである。

 しかし、私という有機体には「心」も「身体」もあり、その両面がまさに有機的に関係している。ここが「広義のシステム論」の誕生が望まれているゆえんだろう。

・心身問題の見直し

 従来から心身の関係について、様々に語られてきたが、いまだ結論がでているわけではない。

元々デカルトは「延長されたもの」と「思推するもの」の2つの思想を打ち立てていた が、現行システム論は、「延長されたもの」の面だけのシステム論であり、「思推するもの」をシステム外へ切り捨てている。

極端なものでは、「思推するもの」すら機械論的に塗り変えてしまっている。

広義の統合システム論が望まれている中、ベースとなる心身問題からの見直しが必要だろう。

それは新しい世界観は「思惟するもの」の復活したともいえるが、単純な復活ではない。

総てを「含んで超える」ことができるような・・

 

1 

デカルト的心身二元論:身体と心は別の物である。「思惟されるもの」「延長されるもの」である。
2 心身一元論も2種類ある。

@身体を心へ還元する:唯心論、観念論

A心を身体へ還元する:身体一元論:唯物的、ホッブス:「心とは計算推理」

認知科学:心は計算するものとして、計算とは、物理的過程であり、ならば取り出せる物とあるとする。

その計算プロセスだけを取り出し、「考える機会」はできるか?-と問いをたて、今日の人工知能研究につながる

しかし、現在では、「身体性の知」の壁にぶつかっている。

心は身体の上にあって、人間的計算が始めてできる。

心は物から生成したのではなく、身体から生成したのである。心をあまくみてはいけない。

3 心身を関係性から見るアプローチで見てみる。

心身相関論:

心身並行論:エチカ、クオリア

4 「私」も超えた、もっと広義のシステムの提示。

自然と観念の世界を橋渡しするのが、身体である。

人工知能に限界があるのは、「身体性の知」が実現げきないからだ。

5

 

 

いかに多元的に論理が展開しても、あくまで我々の思考の整理上のINDEXに過ぎず、世界自体は、常にUNITYであることを忘れてはならない。

 


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